社長・副社長インタビュー

大下 克己

おおした かつみ

代表取締役副社長

新風を起こす。

その男は、新しい風を起こし、
周囲に大きな変革をもたらす人。
普段は穏やかに振る舞うが、その本質は極めて剛健。
切れ味鋭い口調と溢れんばかりの眼力。
しかし、厳しさの奥にある優しさと魂のこもった言葉に、
人はみな魅了され、動かされる。

Profile

1957年10月3日生まれ・立命館大学法学部卒。1980年の入社後、関西支店に配属され、関西エリアのリハウス事業立ち上げ準備などに携わる。1989年に東京勤務となり、着任先の国際事業部では、海外を舞台に激動の時代を送る。その後、リース事業などに携わり、2005年の執行役員就任後はリパーク事業、リハウス事業の統括責任者を歴任。2017年4月の代表取締役副社長に就任後、現在もその辣腕を振るっている。

土地に興味を持つ少年。

「子どもの頃から、土地に興味があったね」。大下の実家は、一般的なサラリーマン家庭ではなかった。「実家が山林や木材に関わる商売をしていたから、幼い頃から山の売り買いを身近で見てきた。中学生くらいから街中の空き地を眺めては、“この土地を貸すといくらになるか?”と、収支の計算をするようになって、大学時代には、京都の主要なエリアの坪単価が頭に入っていた。そうそう、公示価格を見るのも好きだったな」と、軽やかな口調で話す。しかし、その背景には、人並みならぬ苦労の経験があった。
「父を早くに亡くしたことや、林業の先行きが見えなくなっていたこともあって、持っていた山の何割かを処分して京都市内に戸建の家を2軒買って借家をはじめることになってね。それが中学に入るくらいかな。高校の時には、入居者が入れ替わる度に不動産業者から電話を受けていた。新しい入居者との面談や保証人の確認、賃貸借契約を取り交わしたこともあった。ときには家賃を滞納した居住者への催促までやっていたよ」。至って自然体で語られる不動産取引が生活の一部となっていた大下の少年時代は、後の大下を形づくる原型となっていた。

不動産の世界との奇妙な再会。

不動産を身近に感じながら少年時代を過ごした大下。大学受験はその流れで自然と家や土地、建物というような不動産に関連する進路を志すのかと思いきや、「不動産会社に勤める気は全くなかった」と、きっぱり答える。
「元々は電子工学や航空工学など理系の仕事に就きたいと思っていたが、いろいろな事情があって断念せざるを得なかった。理系以外では英語が得意だったから諸外国と関わる商社のような仕事も考えたけれど、母や祖父母のことを考えると日本に留まる道が残されたんです」と話す。
そんな葛藤の中で立命館大学の法学部へ進学。法律を勉強する中で司法書士試験に挑戦したり、大手百貨店でアルバイトをしたりしながら過ごしたという。
就職活動へ差し掛かった、大学4年のことを振り返る。
「自分の人生が不動産業界と再び交わったのが就職活動だった。理系の仕事を諦め、法律を学んだ自分がどんな会社に就職すべきか…それを徹底的に考えるために、当時1,700社余りの上場企業が掲載されている四季報を片っ端からチェックしていった。その会社で扱っている商品に自分は興味があるのか、その扱っている商品に興味がないのに会社に入っても意味がないと考えていた。四季報を1ページずつ潰していって、最後に残ったのが不動産業界だったんです」。大下の視野から完全に外れていた不動産の世界が、紆余曲折を経て再びその眼前に現れたのだ。

時代の移り変わりの中で奮闘した若手時代。

運命に導かれるように不動産業界を志し、三井不動産リアルティの前身である三井不動産販売に入社することとなった大下。
「入社して感じたのは、“和気あいあいとしたやさしい雰囲気の会社だな”という印象。学生時代にアルバイトをしていた百貨店は上下関係が厳しくていつもピリピリしていたから、そのギャップには驚いたね」と、当時の第一印象を語る。時は1980年。三井不動産販売は創立11年目の若い会社だったが、人の魅力あふれる社風は今に至るまで脈々と引き継がれているようだ。そんな職場で、大下はさまざまな経験を重ねていくことになる。
「大阪にいたのは9年間。最初の2年は商社に近い仕事…つまり、ビジネスをつくること、仕事をつくり出すことに携わった。その土地でできる事業を提案して、土地を買ってもらう。無から有を生む仕事は苦労も多いし、正直言って全部が成功はしない。不動産取引には利害関係者が多く厄介なしがらみがあったりするからね。複雑に絡み合った問題の解決の糸口がなかなか見つからず眠れない夜を過ごしたこともあった。しかし、そこでかなり鍛えられたよ」。その後、3年目からはリハウス事業のスタッフ部門に配属。マーケット調査や店舗・人員の配置、収支プランの算出など、経営の根幹となる事業計画の作成に明け暮れた。その計画は現在の関西エリアにおけるリハウス事業の骨格となっている。
やがて30代を迎えた大下は東京勤務を命じられる。当時の日本はバブル景気に沸いており不動産業界においても海外進出が旺盛を極める中、国際事業部へ配属となり海外事業の最前線での任務に就く。スペインなどの海外店舗の出店や、異国間での数々の案件に携わり、まさに世界をまたにかけた不動産取引(ディール)を経験する。
「1年の3分の1を海外出張で過ごしていたこともある。何か案件があればすぐに海外出張をしていたね」。好景気で日本が活気に沸く中、大下も積極果敢に世界を舞台に昼夜業務に没頭していたようだ。

人をその気にさせることを第一とした管理職時代。

バブル経済崩壊後、国内のリース事業部に配属されると同時に36歳ではじめての管理職(当時は課長)に就任。ここで大下はリーダーシップの基礎を身につけたという。
「正直、最初は業務自体よく分からなかったし、メンバーの統率もとれていなかったと思う」。今や経営に携わる者、さぞかし抜群のリーダーシップを発揮していたと思いきや、意外と当時は思い悩んでいたようだ。
「業務がよく分からなくても、指示が決して的確でなくても、とにかく自身が部下より高いモチベーションをもってやろうと意識を変えて取り組んでみた。すると次第にメンバーの意識も変わり、目に見えて成果が上がるようになったんです」。この時、大下は改めて部下のポテンシャルを引き出すことの重要性に気付かされたと言う。「リーダーは部下をその気にさせることが仕事」。簡単なようでとても難しいこの言葉は、三井不動産リアルティの「人の心を動かす」という仕事の本質にも繋がっているように思われる。大下はその後、リース事業の分割(現三井不動産レジデンシャルリースに分社化)に携わった後、47歳で執行役員に就任し、リパーク事業、リハウス事業の二大基幹事業のトップを歴任。それぞれの事業をデータに基づく「科学された事業」にコーディネートし、継続的に安定した業績が上げられる組織に育て上げていく。
「リパークでの収支計算表は、私が当時作ったものが基となっている」。「リハウスのユニット制は、実現する数年前から具体的な構想を持っていたよ」。大下の卓越した分析力と、その分析に基づき未来を予測する柔軟な考察力、そしてそれを実現する実行力にはただただ驚かされるばかりだが、本心では早く自分を超える人材を求めているようだ。
「きっと10年後、20年後には今とは全く違った会社になっているのではないかな。不動産を取り巻く環境は大きく変わっているだろうし、現在当社が注力しているシェアリングビジネスも成長を加速させて事業の大きな柱としなくてはならない。当社は業界の先駆者として、子孫にも誇れるように、業界全体をより良いものに進化させていく責任があるんです」。大下の頭の中では自社に留まらず、業界全体の未来が描かれている。

AIにはできない、人間だからできる仕事を。

新卒で三井不動産販売(現三井不動産リアルティ)に入社して約37年…大下がこれまでの時間の中で感じてきた会社の変化とはどのようなものだったのだろうか。
「最も大きな変化と感じているのは、2012年に三井のリハウス各社を吸収合併し三井不動産リアルティが誕生したこと。従来以上に自ら考えて動く会社になったと思う」。さらに大下は業界の未来についてこう語る。
「AIの技術が進むと、不動産流通事業の仕事はいずれ無くなるとも言われている。でも、そんなことはない」。その言葉の根拠とは何なのだろうか。
「私たちがやっているのは課題解決の仕事。人との共感性が必要不可欠なんです。例えばこんな話がある。共働きのご夫婦がやってきて“2人合わせて年収が700万円で預金は300万円。この家を買うためのローンは組めますか?”と相談してきた。条件としては組めるが、うちの社員は“止めましょう”と答えた。結婚1年目でいつお子さんを授かるかもわからない。つまり、現在の共働きの収入がずっと続くとは限らない。当社の社員は、家がほしいというご相談を頂いたにも関わらずお客さまが無理をせず幸せに暮らしていける生活を考えて、“貯金が800万円になったらきてください”という提案をしたのです。すると数年経ってそのご夫婦がもう一度やってきた。その手には800万円が入った通帳があって、“あのとき、他の不動産仲介会社にも相談したけれど、購入を止めるよう提案してくれたのはあなただけだった。だから、あなたから買おうと決めていました”そう言って契約が決まった。お客さまのご希望を単純に鵜呑みにせず、お客さまの立場になって考えることこそが、人間にしか出来ない仕事であり、我々が存在する意味だと思っています」。このエピソードは、そのまま、大下が新入社員に求める資質にもつながっている。
「こんな風に人と心を共感し合うことに前向きな人に入社してほしい。なぜ、そのお客さまがここに来ているのか? そこから考えて、理解して、応えていく。それがこの仕事の根本だからね」。一見すれば人間味あふれるやさしい言葉。しかし、様々なニーズや背景を持つお客さまに寄り添い、課題を解決していくことは決して容易なことではない。そのことを深く知り抜いた大下が言うからこそ、それは確かな重みを持ち、確かな事実として数多くの人々の心に響き、会社の風土として脈々と受け継がれているのだろう。

代表取締役社長 山代 裕彦
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